ノーサイド

 


 

今日、みやぞん目当てで見た番組で、ユーミンの名曲「ノーサイド」が流れました。

 

「あーこの曲好きなんだよなあ」

 

好きといっても、私はこの曲の歌詞もタイトルすらも知らなかったのですが。

 

ノーサイドにまつわるエピソードは素敵でした。
この曲のモデルといわれるラガーマン(実は違った、という話だったのですが)は私と同じ年。


それもあるのでしょうか、優勝をかけたキックを彼が外したフィルムを見た瞬間、高校時代の記憶がフラッシュバックしました。
若く、人生には希望しかなかった光に満ちた日々。
過去の幸福に突然放り込まれるのは、甘く切ない。

 

我に返った私にユーミンは優しく問いかけます。

 

何をゴールに決めて 何を犠牲にしたの

 

私の人生にこんなドラチックな瞬間はなかったけれど、私も何かをゴールに決めて、何かを犠牲にして生きてきました。

 

みんな、きっと同じ。

 

たとえゴールを外しても、あなたは主人公、とユーミンがエールを送ってくれているように感じました。

 

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おじさんは、もういない

薄曇りの月曜日。

 

野良猫がドアの前でお座りして甘えた声でおじさんを呼んでいる。

 

「おじさんはもう、いないんだよ」

 

生前、父と弟(弟は元気ですが)の髪を切ってくれていた床屋のおじさんが亡くなった。

 

おじさんは近所ではちょっと有名人で、何処で買ったのかと思うようなショッキングピンクのジャージを着て内田裕也風ヘアで(だからすごく目立つ)、いつも二階の窓から顔を出してお酒を飲んでいた。

 

お酒で体を壊してしまったのだ。

 

おじさんと我が家は長い付き合いで、私もむかし猫を触らせてもらいに、父について床屋にいったことがある。
猫が老衰でいなくなってから、おじさんは近所の野良猫にごはんをあげていた。

 

社会に出たばかりの弟は、予約した時間に遅刻して、「時間が守れないようでは会社で信用されない」と説教された。

「お客さんに怒るなんてねえ」と母親は憤慨したけれど、弟と私は、おじさんの言うことに納得した。
カットが済むと、おじさんはしょっちゅう弟にお酒を振舞っていた。

 

父が病気で動けなくなってからは、わざわざ髪を切りに家に来てくれていた。
父はおじさんが来ると嬉しそうだった。

 

おじさんのカットは今っぽくないけれど、カットが終わったばかりの父の後頭部は、1ミリの狂いもない美しい土手みたいだった。

 

職人だったのだ。

 

おじさんは数年前に店を閉めてしまったけれど、夜は二階の窓から通りを眺めながら目が合う人に「お帰りなさい今日もお疲れさま」と声を掛ける習慣があった。
暗い通りだから、灯りがついていておじさんがいると心強かった。
だから顔見知りも多かった。

 

今夜、帰りに床屋の前を通った時、 二階には思いがけず灯りがついてきた。

 

余計、寂しかった。


「おじさんは、もういないんだよ」


なんとなくだけど、今夜帰ってきた人たちも、みんな二階の窓を見上げて灯りを見たのではないだろうか。

主人をなくした灯り。

 

猫は明日もやってくるのだろうか。

 

おじさん、あちらで父に会ったらよろしく。

父の髪を、そっちでまた切ってやってよね。

 

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洎夫藍

 


義母が苦手でした。

 

苦手どころか、「私はあんな風にはならない」とまで思っていました。
もう義母はこの世界にいません。私には、もう償うチャンスはありません。

 

私が結婚したのは23才の時で、「嫁姑」という言葉さえ知りませんでした。
無邪気に、新しいお父さんお母さんができた、と喜んでいたのです。

 

でも、義母は私にとって「見た目だけ歳をとった我儘な女の子」でした。

 

義母の悪口をもう書くつもりはありません。
でも、私は義母の人生を憐れみ、距離をとって生きてしまったのです。

 

そうするしかなかったのです。

 

義母が亡くなって数年。
ある日義父の部屋を掃除していると、机に置かれた一冊の古い本に気づきました。

「ああ、それは北原白秋の詩集だよ。良かったら持って帰る?」

 

興味本位でもらってきたその本をめくってみたのは、それから暫くしてのことです。
綺麗な押絵入りの色褪せた詩集。
旧仮名使いで書かれた詩は、どれを読んでみても、私には意味がわからない。

 

でも書かれているのは、ショパンを爱する義父が好みそうな、読んでいるとなぜか頬が赤らんでくるような、まるで美しい言葉の旋律のようでした。

 

その時、思ったのです。

 

義母はとても幸せだったんだと。
美しい義母は、優しい義父にとても愛され、
きっとこんなにも美しい詩を、読んでもらっていたんだと。

 

そう言えば、お父さんは今でも義母のことを「◯◯さん」と呼び、優しい目をして昔話をします。
義母はひとりの女性として、とても幸せな人だったのです。

 

罅入りし珈琲碗に
洎夫藍のくさを植ゑたり。
その花ひとつひらけば
あはれや呼吸のをののく。
昨日を憎むこころの陰影にも、時に顫えて
ほのかにさくや、さふらん。

 

 

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ドラマ「きのう何食べた」が私に教えてくれること

何かしていて「ちょっと音がほしいな」と思うことがあるのですが、音楽では物足りなかったり浸ってしまってどうもな、という時、最近はもっぱらテレ東のドラマ「きのう何食べた」をかけています。

 

このドラマ、良い意味で「見入ってしまうことも、思いに浸ることも、邪魔になることもなく」作業に集中できる。
でも、決して「内容が浅い」という事ではないのです。

 

主人公のBLカップルであるシロさんとケンジの日常にはドラマティックな事件は起こりません。我々と同じように日々の繰り返しがあるだけです。

 

そして、同性愛、親の病気、他人の人生と向き合う弁護士という仕事、数々の人生の重い試練を、登場人物のさり気ない優しさと「毎日のごはん」で浄化していきます。

 

ケンジもシロさんも結構いい年。だから夢いっぱい!というわけにはいかないし、毎日は楽しいことばかりではない。嫌なことも、時々ものすごくシンドイ事が起きたりする。

 

でもうちに帰ったら、献立やら節約やら考えながらごはんを作って美味しく食べる。
人生はシンプル。もし辛い事が起きても、「ごはんを作って美味しく食べる」が正解なのだ、と 思うと、なんだか安心するのです。

 

ドラマで重い問題が起きても、信じて見ていられる。
だってシロさんとケンジは、それでも夜になればちゃんとごはんを作って美味しく食べるのだから。
それを知っているから、私は安心して作業に集中できるのです。

 

「人生をどう生きるか」の答えは、もうこれでいいんじゃないだろうか。

 

さて。このドラマの楽しみ方ですが、まずは純粋にストーリーを楽しむ。次にイケメン(西島秀俊)がエプロンをつけて料理する様子をじっくり堪能する。そしてたまには家でレシピを再現して悦に入る(できればその回を流しながら食べるとなおよし)。
そして〆としてBGM風「環境音楽」的に、エンドレスでリピートするのです。

「きのう何食べた」の楽しみ方は色々。

 

今日は日曜日。
録画してある回をまずはコーヒーを飲みながら「ひとつ目ふたつ目」で堪能しよう。それから・・・きのう茄子とパプリカを買ってきたのは、ドラマの「3つ目と4つ目」も楽しもうという魂胆なのです!

 

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戻ってきたよー

 

 

背中を、見ている

 

身近に少しだけ年上の友達、もしくは先輩がいますか?
その人と環境や境遇が似ていますか?
では、その人のことを、少し意識して見たりしていませんか?

 

そんな友達が今日、旅行先の台湾から小籠包だの牛肉麺だの、美味しそうな食べ物の写メを次々と(仕事中なのにお構いなし)LINEに送ってよこしてきたのです。

 

「まー相変わらず元気なことで」とニヤニヤ見ていたのですが、これから帰国する、というメッセージとともに「生きているうちにまた来れるかなあとマジに思うよ」(※原文のまま)というセリフが添えられていたのです。

 

どうしたYちゃん。毎年台湾に行ってるじゃん。台湾近いし行けるじゃん。
なんで突然そんな寂しいことを?
彼女から弱気な発言を聞いたのはこれが初めてで、ちょっとショックでした。


Yちゃんにとって年下の友達が私であるように、私にも「少しだけ年下」の友達がいます。
ふと、かつて彼女に言われた言葉を思い出しました。

 

「私はいつも姉さん(彼女は私のことをこう呼ぶ)の背中を見ている」

 

これは、彼女が私を尊敬しているとか目標にしているとかいうことではなく、彼女が私の姿を「数年後、自分もこんな道を歩むだろう」と考えているこという意味なのです。

 

年下だけどしっかり者の彼女に頼り切っている私は、「検診で引っかかる項目が毎年増えるよお」とか「親がもう◯歳になったけどどうしたものか」とか、不安やグチを彼女に日々ブチまけてきました。

 

でも。彼女は4つ年上の私の背中に、自分の将来を重ねて見ていたのだ。あああ。

 

私がYちゃんの言葉にショックを受けたのは、もちろんYちゃんを心配してのことですが、「あの誰よりも元気なYちゃんですら弱気な事を言うようになったとは。弱っちい私なんか将来どうなっちゃうんだろう」と不安になったこともあるのです。

年下(後輩)というのはみんな、多かれ少なかれそういうものかもしれないね。

 

誰かが私の背中を見ている。

 

女性はある年齢になると、重めな問題が出てくることは避けられない。
ならば、問題があっても元気でやれるよって、怖がる事はないんだよ、ぜんぜん平気だよって・・・本当はすごく凹んでいても少しだけカッコつけて虚勢をはることが、後輩へのエールになるのかもしれない。そして、そうすることで自分も少し元気になれるかもしれない。
そんなことをツラツラと考える1日になりました。

 

ところで。
年上のYちゃんから追加で送られてきた「タピオカミルクティを持つ写メ」に映りこんだ彼女のネイルは、ビックリするほどド派手なブルーのライトストーン入り。

 

「あ、こりゃまだまだ心配ないや」密かに安堵した少し年下の私なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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なんか用ニャン?

 

私はお前を産んだ記憶はない

「うわぁ〜カワイイ」
私がイ○ンのペットショップでフワフワの子犬を見ていた時のこと。
「お父さん、気になる子がいたら抱っこできますよー」若くて可愛い店員さんがニコニコと夫に話しかけてきたのです。

 

ブログは姿が見えないからこそ書けるのですが、私は比較的若く見られることが多く、例えば夫と私、そして母親の3人でいると、夫と母親が夫婦だと勘違いされ・・・ん?これって私が若く見えるうんぬんじゃなく、夫が老けているということ?・・・まあ誰にも見えないからどう書いたってバレないのだ。

 

我が家にはこどもがいない。 なのに「お父さん」と呼ばれた夫は内心憤慨、いや、プライドが傷ついたようで、いつまでも「お父さんって言ってた」とシツコイ。「この服どうかなあ〜」と話しかけても「僕はあなたのお父さんではない、と言ってやりたい」だの「お客様、と呼ぶべきなのに教育がなってない」だの、挙句「今時の若者は」と、お父さんの域を超え「おじいちゃん」ぽいことを言い出す始末。

 

(この件がよほどショックだったのか、夫は「おぎやはぎ」のような丸メガネを作り、ヒゲを伸ばし、髪の毛を短くカットし立たせて「若返り(若作り)」を図ったのでした)。

 

そしてそんな事はすっかり忘れた頃のこと。とあるホームセンターのキャンペーン会場で「お父さんお母さん、ちょっと見ていきませんか?」と話しかけられたのです!

 

それって・・・私に言ってるよね?

 

お母さん!?

わ、私はお前を生んだ記憶はないっ(怒)!

 

あの時夫を笑いものにした私も、いざ自分が同じ立場になってみると想像以上にショックを受けたのです。自分では「まあまあ」若いつもりでも、そうじゃないんだ。私も人から見ると「お母さん」なんだ・・ああなんかめっちゃショック!

 

まあね、なんなら孫がいても驚かれる年ではないのだし、ぜんぜん間違ってないのです。
「お父さんお母さん」と呼びかけるのは、親しみを持ってもらうためだろうしね。
うん、わかってはいるんだよ。
でもね、我々夫婦には子供がいない。私たちのような人間は、見た目はしっかり歳を取っていても、心がついていかないものなのです。

 

そして先週の土曜日。私と夫は近所のトンカツ屋にいました。
その店のトンカツはカリッとジューシーで、かかっている味噌の甘辛さも絶妙、とっても人気のある店なのです。

 

「すみません、お姉さん!お姉さん!お茶ください!」

 

後ろのテーブルの男性が店員さんを呼び止める声が店に響きました。
この店の店員さんはみんな、明らかに70は超えている元気なおばちゃんばかり。
でも、呼び止められた私の母親くらいの歳の「お姉さん」は、しごく当たり前のように振り返り、お茶を注ぎにいったのです。

 

夫と私は思わず目を合わせました。

 

「うん!やっぱコレが正解だよね!」

 

我々は何となく満足し、評判の味噌カツを「更に美味しく」いただいたのでありました。

 

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果物屋さんのにゃんこ

 

 

 

現地に溶け込んでみたかった駐在妻



何度も何度もシツコイですが私は華麗なる元駐在妻。
華麗と打ち込むとパソコンが「加齢」と予期変換するところに悲哀を感じると同時に、いつまでも過去の栄光にしがみついているのも(ぜんぜん誰にも羨ましがられないが)(なんなら同情されるが)如何なものかと思いますが、アメリカ、スペインなどなど西洋の国に行くのを夢見ていたのに結果、台湾を皮切りにリアル「沈まぬ太陽」、中華圏丸かぶりになってしまいました。

 

「台湾?羨ましい!」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、ちょっと思い出してみてください。
今では考えられないでしょうが、1999年当時、台湾はまだ「タピオカミルクティ♡」「しょうろんぽう♡」と女子がウハウハするような人気旅行先ではなく、「マムシ精力剤♡」「マッサージ♡」とオジがウハウハする怪しげな旅行先だったのです。

 

そんなことはさておき。
私が台湾と2つ目の駐在地に駐在して何が一番良かったかと聞かれたら「帰国後も付き合っていける友達ができた」ことでしょう。そして帰国後はたまにその友人らと駐在先での思い出など語りつつ、「次はバンコクがいいな♡バンコクに駐在してタイ料理でランチしてカービングをやるんだ」と夢を膨らませていたのです。
そう、3つ目の駐在地にダンナがとんでもないカードを引き当ててくるまでは、、、。

 

日本人(外国人自体)が少ないその地、 何度ググろうが心躍る情報は得られず、ヒットするのはひたすらネガティブな情報と「同名の焼肉屋」だけ(しかも、その焼肉屋は結構人気)という絶望的状況。
年の平均気温が4.9度、で夏は30度越え・・・ってどういう計算?!冬場どんだけ挽回したら4.9になるわけ?

バババババンコクはどうした!

私はヤケッパチになりました。


ですが、幸か不幸か不幸か不幸か。8年にわたる駐在で「我今日行王将食中華丼。大変美味」くらいの中国語が話せるようになっていた私は「・・・。ならばしょうがあるまい」と腹を据え、日本人と付き合うことを諦め、「中国語の勉強相手に」と称して現地の女の子を1人あてがってもらう事にしたのです。

 

図らずも彼女が「あんたどこのお人?」と聞いてくる好奇心の強い現地の人と触れ合うキッカケを、私に作ってくれる事になりました。
凍てつく大地の人々は大らかで優しく、調子に乗った私は誘われるまま地元の人と行き来したり、バスに乗ったり怪し気な店で麺を食べたり…現地の人の生活を真似るようになっていったのです。

 

また、当時スズメの涙の謝礼で会社に籍を置いていた私が、いつもパソコンにへばりついている姿とその額(あちらの人はあけすけにそういう話をする)に同情し、仲間意識を持った掃除のおばさん達が、同年代である私を「対等な仲間」と認め、日々井戸端会議的会話が持たれたのも、私とその土地の距離をぐっと近づけることとなりました。

 

勧められるまま屋台のものを食べ、調子が悪いと言ってはヤバそうな薬を飲まされ、娯楽がないがゆえ地元の人が楽しみにしている残念な催しを見にいく生活。

 

いえいえ。そうはいっても所詮わたしは駐在妻(の端くれ)。
実際はみんなと同じ生活をしていたわけではなく、ただ「一般の生活を垣間見させてもらった」だけであることは十分承知しています。

 


それでも、私はけっこう自己満足しているのです。
いまだ彼の地を懐かしく思い、彼の地の夢を見るのは、「受け入れてもらいたい」という強い気持ちで、その土地に向き合っていたからだと思うのです。

ああ、そんな私の様子を見てダンナは勘違い甚だしく「僕が連れて行ってあげた」感をムンムンに出して手柄をたてようとするのですが、それぜんぜん違うから!

 

 

 

 

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働くロバさん

 

明日の自分に「幸せ」を仕込んでおこう

 

「幸せってなんだっけなんだっけ〜ポン酢醤油があることさ〜」

新時代「令和」が始まるとともに昔を振り返る番組が増え、昭和の女である私は「うわっ懐かしっ」と身を乗り出し気づいたら2時間・・・といった日々が続いております。

明石家さんまさんがやっていたこのCMが流れていたのは1986年なんだって

ということは。中島健人クンや新田マッケンユー君がこの世に誕生する前に「私もうめっちゃ大人だった」ということですねああそうですね。

さてこのCM、さんまさんとメロディのインパクトに隠れてしまってはいますが、キャッチコピー(歌詞というべきか)が今更ながら、実に「深イイ!」と思うのです。

例えばパワースポットといわれる神社に行っても、「・・・。まあ、人類平和でひとつ」とザックリした願いしか思い浮かばず、神様に「お前は何を言っているのだ、具体的に言ってみよ」(神様だから上から目線)と問われても、「・・・。幸せってなんだっけ〜けなんだっけ〜」と歌って誤魔化したくなるほど幸せに対し疎くなってしまっている私。

ああ、幸せ というこの漠然とした概念。

でもね、試しに「あなたにとって幸せって何?」と周りの人に聞いてみてください(ガチでやったら多分心配されるよ)。

きっとみんなパッと答えられないと思うのです。
お金があること、家族の健康、若い子だったら恋愛とか就職とか?

そして、私は幸せか?と聞かれたら・・・幸せです。
でもなあ〜
なんかピンとこないんだなあ〜

会社行って家事してたまに友達とランチして。あちこちガタはきているもののなんと
か騙し騙し頑張っている体。明日も検診の再検査だけど、まあ贅沢言わなければ実に
実に「幸せ」なのです。

がっ!
若い頃なら、遠距離恋愛中の彼と会った、試験に合格したとか、「強烈な幸せを感じる瞬間」がたくさんあった。
なのに、今や胸がドキドキする瞬間といったら「仕事でやらかした」時か、郵送されてきた健康診断の結果を開ける時くらいだ涙。

それに、幸せに「まあ」とつけてる時点でね、もうなんかね。

そんなある日の朝。
今日は会社に行かない日。私は「今日は○○をやろう!」とか、「そうだ!京都行こう!」とか志高いステキ人間ではない。
それに、そんなことしたら疲れて明日の仕事に差し支えるムダに燃費のかかる体。

でもその時、私はふと思い出しました。
「あ、昨日帰りに唐揚げ(4個197円)を買ってあるっ」

録画してあるドラマ、「昨日なに食べた」を見ながら唐揚げを食べよう。

そう思った瞬間、パアアっと幸せな気持ちになったのです。

幸せって、少なくとも志の低い私にとって、幸せってこれでいいのかも。
「ポン酢醤油がある」ことは、いつもより少し贅沢なだけだけど、「ポン酢醤油ああ美味しい」って、そういうことで人は幸せでいられるのかもしれない。

明日の自分のために、また197円の唐揚げを買っておこう。図書館で本を予約しておこう。ドラマを録画しておこう。CMで見た新しい柔軟剤を買ってみよう。
それからそれから・・・。

明日の自分のために、幸せを自分で「仕込んで」おこう。まるでサプライズプレゼントみたいに。

 

 

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