おじさんは、もういない
薄曇りの月曜日。
野良猫がドアの前でお座りして甘えた声でおじさんを呼んでいる。
「おじさんはもう、いないんだよ」
生前、父と弟(弟は元気ですが)の髪を切ってくれていた床屋のおじさんが亡くなった。
おじさんは近所ではちょっと有名人で、何処で買ったのかと思うようなショッキングピンクのジャージを着て内田裕也風ヘアで(だからすごく目立つ)、いつも二階の窓から顔を出してお酒を飲んでいた。
お酒で体を壊してしまったのだ。
おじさんと我が家は長い付き合いで、私もむかし猫を触らせてもらいに、父について床屋にいったことがある。
猫が老衰でいなくなってから、おじさんは近所の野良猫にごはんをあげていた。
社会に出たばかりの弟は、予約した時間に遅刻して、「時間が守れないようでは会社で信用されない」と説教された。
「お客さんに怒るなんてねえ」と母親は憤慨したけれど、弟と私は、おじさんの言うことに納得した。
カットが済むと、おじさんはしょっちゅう弟にお酒を振舞っていた。
父が病気で動けなくなってからは、わざわざ髪を切りに家に来てくれていた。
父はおじさんが来ると嬉しそうだった。
おじさんのカットは今っぽくないけれど、カットが終わったばかりの父の後頭部は、1ミリの狂いもない美しい土手みたいだった。
職人だったのだ。
おじさんは数年前に店を閉めてしまったけれど、夜は二階の窓から通りを眺めながら目が合う人に「お帰りなさい今日もお疲れさま」と声を掛ける習慣があった。
暗い通りだから、灯りがついていておじさんがいると心強かった。
だから顔見知りも多かった。
今夜、帰りに床屋の前を通った時、 二階には思いがけず灯りがついてきた。
余計、寂しかった。
「おじさんは、もういないんだよ」
なんとなくだけど、今夜帰ってきた人たちも、みんな二階の窓を見上げて灯りを見たのではないだろうか。
主人をなくした灯り。
猫は明日もやってくるのだろうか。
おじさん、あちらで父に会ったらよろしく。
父の髪を、そっちでまた切ってやってよね。