現地に溶け込んでみたかった駐在妻



何度も何度もシツコイですが私は華麗なる元駐在妻。
華麗と打ち込むとパソコンが「加齢」と予期変換するところに悲哀を感じると同時に、いつまでも過去の栄光にしがみついているのも(ぜんぜん誰にも羨ましがられないが)(なんなら同情されるが)如何なものかと思いますが、アメリカ、スペインなどなど西洋の国に行くのを夢見ていたのに結果、台湾を皮切りにリアル「沈まぬ太陽」、中華圏丸かぶりになってしまいました。

 

「台湾?羨ましい!」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、ちょっと思い出してみてください。
今では考えられないでしょうが、1999年当時、台湾はまだ「タピオカミルクティ♡」「しょうろんぽう♡」と女子がウハウハするような人気旅行先ではなく、「マムシ精力剤♡」「マッサージ♡」とオジがウハウハする怪しげな旅行先だったのです。

 

そんなことはさておき。
私が台湾と2つ目の駐在地に駐在して何が一番良かったかと聞かれたら「帰国後も付き合っていける友達ができた」ことでしょう。そして帰国後はたまにその友人らと駐在先での思い出など語りつつ、「次はバンコクがいいな♡バンコクに駐在してタイ料理でランチしてカービングをやるんだ」と夢を膨らませていたのです。
そう、3つ目の駐在地にダンナがとんでもないカードを引き当ててくるまでは、、、。

 

日本人(外国人自体)が少ないその地、 何度ググろうが心躍る情報は得られず、ヒットするのはひたすらネガティブな情報と「同名の焼肉屋」だけ(しかも、その焼肉屋は結構人気)という絶望的状況。
年の平均気温が4.9度、で夏は30度越え・・・ってどういう計算?!冬場どんだけ挽回したら4.9になるわけ?

バババババンコクはどうした!

私はヤケッパチになりました。


ですが、幸か不幸か不幸か不幸か。8年にわたる駐在で「我今日行王将食中華丼。大変美味」くらいの中国語が話せるようになっていた私は「・・・。ならばしょうがあるまい」と腹を据え、日本人と付き合うことを諦め、「中国語の勉強相手に」と称して現地の女の子を1人あてがってもらう事にしたのです。

 

図らずも彼女が「あんたどこのお人?」と聞いてくる好奇心の強い現地の人と触れ合うキッカケを、私に作ってくれる事になりました。
凍てつく大地の人々は大らかで優しく、調子に乗った私は誘われるまま地元の人と行き来したり、バスに乗ったり怪し気な店で麺を食べたり…現地の人の生活を真似るようになっていったのです。

 

また、当時スズメの涙の謝礼で会社に籍を置いていた私が、いつもパソコンにへばりついている姿とその額(あちらの人はあけすけにそういう話をする)に同情し、仲間意識を持った掃除のおばさん達が、同年代である私を「対等な仲間」と認め、日々井戸端会議的会話が持たれたのも、私とその土地の距離をぐっと近づけることとなりました。

 

勧められるまま屋台のものを食べ、調子が悪いと言ってはヤバそうな薬を飲まされ、娯楽がないがゆえ地元の人が楽しみにしている残念な催しを見にいく生活。

 

いえいえ。そうはいっても所詮わたしは駐在妻(の端くれ)。
実際はみんなと同じ生活をしていたわけではなく、ただ「一般の生活を垣間見させてもらった」だけであることは十分承知しています。

 


それでも、私はけっこう自己満足しているのです。
いまだ彼の地を懐かしく思い、彼の地の夢を見るのは、「受け入れてもらいたい」という強い気持ちで、その土地に向き合っていたからだと思うのです。

ああ、そんな私の様子を見てダンナは勘違い甚だしく「僕が連れて行ってあげた」感をムンムンに出して手柄をたてようとするのですが、それぜんぜん違うから!

 

 

 

 

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働くロバさん